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  • 執筆者の写真ちぇんしげ 重穎

第22回グラフィック「1_WALL」公開最終審査レポート

更新日:2020年5月14日

ちぇんしげ「《五円》なき衆生は度し難し」


人と人、人ともの、ものともの、それらにある不確定さや曖昧さ。それらを私は“縁”と呼んでいる。絵を描いたり、文章を書いたり、作ったものは作品というよりは、対象物との触れ合いによって生じた一つ一つの記録だと思っている。招き猫や流れ星、彗星などを信じる力。ブランドもののバッグを買うことはできないけれど、スーパーでもらったエコバックにブランドの名前を付け、信じることでブランドもののバッグだと感じることができるかもしれない。私はそう信じたいし、信じることで生まれるずれや余白といったようなものがこの社会を支えて、動かす原動力になっているのではないかと思う。個展では五円玉、鉛筆を持つ姿勢を正すゴムなどのモチーフで構成する予定だ。


Q.長崎:緑、白、紫、黒という限定された色で構成されているが、何かこだわりがあるの? A.ちぇんしげ:緑は自分の体内にある色と考えていて、好き。ピンクも自分の外にある色として好きなので、今回はその延長線上にある紫も使った。紫はいやらしい色に思われるが、国によっては貴族の色。このように、両極端な見られ方がある色をあえて使っている。


Q.上西:招き猫や彗星など、祈りの象徴物をぐるぐる描き続けているようだ。“信じる”という行為についてどう考えているの? A.ちぇんしげ:“信じる”という行為自体が素晴らしいと思っている。


Q.菊地:事実かどうかということが大事なのではなく、信じることで別の世界が立ち上がるということを伝えたい? A.ちぇんしげ:はい。祈りの対象物を信じている人は信じているし、全く信じない人もいる。信じる人が信じない人に理由を説明しても一生わかりあえないので、真実かどうかは重要ではない。


都築「意図しないところで、モチーフとモチーフ同士が繋がっている。意識外で自然と繋げていくことができる人なのかも。ただ、僕から見ると手放しでは好きと言えない作品だ」


保坂「ギザギザとしたかたちや波のようなかたちで光のようなものを表現していて、それが多すぎずバランス感覚が良い。ドローイング的なものや神話的なもの、イラスト的なものなど、振れ幅が大きく、面白い」


上西「鑑賞者の目を留めさせる力がある作品。長く見続けたくなるような魅力がある」


長崎「絵の力もあるし、下に置かれたオブジェのようなものも普通なら馴染まなそうだが、今回はきちんと馴染んでいてうまく完結している作品。まとめ上げるセンスがあるが、この先どうなるのか」


菊地「彼の話はどれも腑に落ちて、好き。ただ、作品自体はスケッチ的な作品なので、もう少し一枚一枚の絵の滞在時間を長くするような努力をしてもいいのかも。もう少し丁寧な表現をしてみてもいいかもしれない」


菊地「個展で空間を使えるとなると、また見え方が変わってくるだろうと思った。平面作品と立体作品、テンションが変わらず同じような感覚で展示できる人なので、個展も面白くなりそう」


長崎「菊地さんと同じ意見で、立体物と絵が馴染まない人が多い中、彼の作品は馴染んでいてすごい」


上西「過去の作品を含め、自分の世界観を確立している。個展を開催した時、彼のその独特な世界観に足を踏み入れてみたいなと思った」



ちぇんしげ「《無緣》衆生悟道難」


人與人,人與物,物與物,存在於這些之中的不確定性與曖昧。我將它們稱之為「緣(份)」。畫圖、寫文章、做東西,與其說這些產出是作品,應該說是和對象物體相互觸碰所生成的一個個紀錄。相信招財、貓流星、彗星的力量。買不起名牌包,卻可以將超市送的環保袋取上名牌包名字。或許可以因為相信,而感受著背名牌貨。我是如此地相信著,因為相信所產稱的位移與留白,或許正是支撐著這個社會運轉的動力。個展預計會以《五圓》以及矯正鉛筆握姿器來構思。

Q長崎:創作中主要構成限定在綠色、白色、紫色、黑色,是由什麼堅持嗎?

A重穎:我覺得綠色是在我體內的顏色,很喜歡。我也喜歡處在我身外粉紅色,這次延伸出來使用了紫色。紫色有時被認為是低俗的,但因國家而異也可以是貴族的顏色。刻意使用了兩種極端視角的顏色。

Q上西:感覺是一直繞著招財貓、彗星等象徵祈福的物品畫。你對於「相信」這行為有什麼看法?

A重穎:我覺得「相信」這件事本體很蘇巴拉系。

Q菊地:是想傳達無關乎事實與否,透過相信,即可建構出別的世界嗎?

A重穎:是。祈福的對象有人信,有人不信。縱使信者向不信者解釋,然雙方一輩子也無法相互理解的,是否為真實並不重要。



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